2022/05/28

マシンメイト

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マシンメイトフットパス2022

梅雨入り前の、5月28日(土)に第14回「礫川(こいしかわ)の史跡を巡る」と題して、例年通り42名の参加のもとフットパスが行われました。その翌日には東京で30度を越えると百数十年ぶりの記録になろうかと言う位に暑かったのですが、当日も、5月とは思えないような日でした。ただ湿気の無い涼風に助けられながら小石川後楽園に向かいます。
 江戸時代初期の寛永6年(1929)に、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子(2代藩主)の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。名前の由来は中国の笵仲淹「岳陽楼記」の「(仁人は)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名づけられたものです。小石川後楽園の紋章は水戸徳川家の裏家紋ともいわれている六つ葉葵紋だそうです。
そして後楽園を後にして、小石川植物園へと向かいます。江戸幕府によって開園された小石川御薬園が前身だそうです。1722年(享保7年)、将軍への直訴制度として設置された目安箱に町医師小川笙船の投書で、江戸の貧病人のための「施薬院」設置が請願されると、下層民対策にも取り組んでいた吉宗が江戸町奉行の大岡忠相に命じて検討させ、当御薬園内に診療所を設けた。これが小石川養生所であり、山本周五郎の連作短編小説『赤ひげ診療譚』や、この作品を映画化した黒澤明監督作品の『赤ひげ』は、養生所を舞台とした医師の物語だそうです。また、この植物園にはニュートンの生家にあった木に接ぎ木した、「ニュートンのリンゴ」の木やメンデルが実験に用いた、由緒あるブドウの分株をしたぶどうの木もありました。現在は東京大学大学院理学系研究科附属植物園となっており植物学の研究・教育を目的としています。
 次に訪れたのは、鳩山会館です。当時としては珍しい鉄筋コンクリート造の洋館で、各所にハトやミミズクなど鳥をモチーフにした装飾が施されています。設計者の岡田信一郎は様式建築を得意とし、その手腕は鳩山邸でも発揮されたそうです。アダム・スタイルの応接間など、イギリスの邸宅を思わせるが1階部分では部屋の境の扉を大きく開くことで各室を連続して使用することができ、日本家屋のような開放的な空間を作り出しています。2階には、鳩山威一郎氏、一郎氏に纏わる品物が展示してありますが、一郎氏のデスマスクはちょっと不気味でした。それにしても、この音羽御殿と言われる建物ですが、入口の坂が非常にきつく、ひと苦労でした。その坂を一度くだって音羽通りに出て、そこから「カテドラル教会」へ向かいますが、通りからまた急坂を登ります。
 こちらは自由に入ることが出来る教会施設ですが、圧倒的な建物のデザインです。構内ではサン・ピエトロ大聖堂のピエタ(ミケランジェロ)の精巧なレプリカやフランシスコ・ザビエルの胸像などの収蔵品がありました。内部の高さは40mにも及び、パイプオルガンの音が非常に残響して、神秘的な気分になりました。疲れた身体をこちらで暫し休ませて頂き、集合写真を撮り、次の見学地の細川庭園へ向かいますが、これまた非常に急な坂道を降りて進んでいきます。
 肥後細川庭園のある一帯は、江戸時代中頃まで幕臣の邸宅があったところであった様です。その後、幾度かの所有者の変遷を経て、幕末に細川家の下屋敷のひとつとなり、明治時代には細川家の本邸となったそうです。1960年に東京都が当地を購入し、翌年には公園として開園。1975年、文京区に移管されて現在にいたる。当地付近は目白台からの湧水が豊富な地点で、その湧水を生かした回遊式泉水庭園を主体とした公園となっており、江戸時代の大名屋敷の回遊式泉水庭園の雰囲気を現在でも楽しむことが出来る公園です。
 今回のフットパスは、総工程約7kmを、3時間半ほどで歩きましたが、急坂のせいか非常に長い工程に感じました。私は第一回目のフットパスに参加した以来で、普段の運動不足の為に、両膝の裏側の激痛に苦しめられました。今後はなるべく、歩く事を意識して次回のフットパスに挑戦したいと思いました。